とりあえず足りなかったのは睡眠だろう。














この世における最後の福音は、お前の仕事を知り、かつなせ、である。
―――カーライル「過去と現在」

















月の終わりと言うのは、どうしても仕事の量が多くなる。
普段、真面目にやっていようがいまいが仕事の量が変わるわけでもない。
ならばさぼろうがさぼらまいが結果は同じだ。

その結果である修羅場はつい先程まで自分を苦しめていた、紙の山。
机に山を作り、尚且つ床にまで広がる資料。…所々紙飛行機があるのは見なかった事にして。
兎に角、漸く一段落付いたとロイは嘆息した。



決算済みの書類を部下に預け、何日ぶりかになる我が家へ帰った頃には月が高く上っていた。

玄関の扉を開けると、自分以外の人間の気配。
警戒しながらリビングに上がると、そこにはテーブルに突っ伏して眠る金の子猫が一匹いた。
それに少なからず脱力して、何故彼がココにいるのだろうと、コートをエドワードにかけながら考える。

――そう言えば、家に来るといっていた、か?
自分に似合わず疑問形になるのは恐らくそれを聞いたのが書類と格闘していた時だったからだろう。
気まぐれな猫は、ふらりと帰ってくるものだから、予定が合わない事も少なくなかった。
貴重な機会だが、だからと言って気持ちよく眠るエドワードを起こす気にはならず、小さく溜息。

今回も、微妙にすれ違ったな。

確か彼らは明日には次の町へ行くと言っていたような気がする。
いつも通り始発の列車で行くのだろうから、二人で居る時間は無いと言っても良いのだろう。
自然、深くなる溜息と沈んでいく思考を元に戻して、ロイは何か飲もうとキッチンへと向かった。


アルコールをキッチンで発見してロイは、それを飲もうと棚の中のグラスに手を伸ばす。
裏返しに置いてあるグラスを指の間に挟んで取ろうとした、が。
只でさえ書類と格闘後の疲れていた、その上に睡眠不足。
つまり、自分が考えていたよりも大きな倦怠感が体を襲い、その拍子にグラスを床に落としてしまった。
繊細なそれは勿論床で砕け散り。
座ってその現状を観察しながら、ロイは靴を履いているから足を怪我する可能性がない事に一先ず安堵して、破片を集めようと箒を取りにリビングに向かう。

否、向かおうとした。

立ち上がろうと視線を上げたその、先。
黒い服に身を包み、先程自分が掛けたコートを羽織ってエドワードが立っていた。

「…起きたのかい?」
「何か、割れた音がしたから。」
あぁ、と溜息と共にエドワードに返して、悪かったねと小さく謝る。
膝に手を当てて、ゆっくりと立ち上がろうとしたロイの視界が、歪む。
立ち眩みがした。

「っ…。」

慌てて地に手を付くものの、そこにはガラスの破片。
手の平に痛みが走る。

「大丈夫か?」
立ち上がれなかったロイとその手の平を心配してエドワードが左手を差し伸べた。
それに手を重ねて、漸くロイは立ち上がる。
破片の上に置いてしまった左手から、血が流れていた。
それを見て、呆れたようにエドワードが呟く。

「何やってんだよ。」
「私もやりたくてこうなった訳ではないのだが。」
そりゃそうだろうな、とロイの言葉を流してエドワードが傷口を見つめる。
血は出ているがどうやら破片が中に入ったわけではなさそうだ。
それに少なからず安堵して、エドワードは処置をするために救急箱を棚から取り出した。
ロイの家の物の位置は家主よりもエドワードの方が承知している。
何の迷いもなく救急箱を開け、エドワードが手当てをするためにとりあえずロイをリビングへと移動させる。
イスに座らせて、左手を差し出すように言い、マジマジと傷を眺めた。
「鋼の?」
あまりに傷を眺められる物だから、流石にロイは不思議に思い声を上げた。
「破片、入ってないよな?」
対するエドワードの言葉に、あぁ、と些か間の抜けた返事を返してエドワードのさせたいようにさせる。と言っても自分の為にしてくれているのだから感謝の念を忘れてはいないのだが。

消毒液を含ませたコットンを傷口に当て消毒をし、念のために包帯を巻いて。
念入りに行われるそれをロイは、ただ見つめる。
最後に包帯をピンで留めて。
「はい、終了。」
「ここまで大袈裟にしなくても良かったのだが…」
「何だよ、折角オレがしてやったのに感謝の言葉もなしか?」
救急箱に道具を片付けながら、視線も合わせずにエドワードが軽く返した。
それを見て、ロイがにやりと笑む。
棚に箱を戻す為に、立ち上がってロイに背を向けた。
コトン、と軽く棚に戻して。
瞬間、背中に感じた気配、それに呆れたように溜息を一つ。

「大佐…、近付くときに気配を、」
すっぽりと、背中から抱き締められてエドワードの言葉が途切れた。
口を耳元に寄せて、ゆっくりとロイが囁く。

「ありがとう、エドワード。」

低く囁かれた言葉に、反射的にエドワードは肌がゾクリと粟立って。
嫌悪感から来るとエドワードの脳が判断したお陰で、ロイの腹部に見事な肘鉄が炸裂した。


























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いえ、あの、ごめんなさい(何)
素直に赤面するエドが思い浮かばなかったんです。
甘い話、私が書くとこういう事になります(と言うか甘くないだろう)