強い風が髪を掻き乱して、空へと消えた。














お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない。
――シラー「諦観」













その日は風が強かった。

家々の柵の間や雑林の隙間、そこから吹く風には言伝えがある。








ぴゅうぴゅうと、聞きなれない音を立てて風が駆けていく。
エドワードはそれを家の中で聞いていた。

「・…………。」

沈黙を保っているエドワードは先程までは本当に健やかに眠っていたのだ。
周囲の人間に言わせれば、『寝ているときだけ、大人しい年相応の少年』。
その年相応の寝顔だったエドワードが目覚めたのはつい先程だった。
原因は、先程から窓をカタカタと震えさせている、風。

「…………………・・。」

沈黙を保っているエドワードはしかし、徐々に不機嫌そうな顔になっていく。
風の音など普段は気にはならない。
というかその程度の事を気にしていては、やっていけない。彼にとって野宿は慣れた事だ。


嫌でも耳に入ってくる、ぴゅうぴゅうと吹く風にエドワードは深いそうに眉を顰める。
ありえないと理性は分かっていても、感性はそう簡単には納得してはくれなかった。
馬鹿げた事だ。

風の音が、死者の声に聞こえるなど。


木々の間、柵や竹垣の間を縫って吹いてくる風が、そう聞こえた。


エドワードの眉間の皺がますます深くなる。
そして、それは彼の不機嫌さを如実に表していた。


ベットの上に膝を立てて座って眠りが来るのを待っていたが、一向に訪れそうに無いそれに嫌気が差して、エドワードはベットから降りた。
イスにかけてあった上着を羽織り、腕を通さずにドアノブに手を掛ける。
ゆっくりと開かれた扉の先には暖かな光。
それに眩しそうに目を細めてそのまま廊下へと出て行った。
















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「…何で起きてんだ?」
「そんなに嫌そうに言う事もないだろう。」

とりあえず、何か飲もう。
そう思ったエドワードが向かった先はリビング。
無人である事を期待していたエドワードの予想に反して、ソファの上にゆったりと寛ぐ家主の姿を見、エドワードが再び眉を顰めるのは案外速かった。

青い軍服を机の上に無造作に放り投げ、シャツの襟元を緩めて言うロイは彼に傾倒している女性が見れば福眼とでも言わんばかりの事になるであろうが、この場合の相手はそんな事に有難味は感じていない。
むしろ、エドワードの不機嫌さは増していく一方で。
これ以上ロイを見ていても何もないと、エドワードはキッチンの方へ足を向ける。
確か、この間まとめて食料を買ったときに紅茶の葉も買っていた筈だ。
一月前の記憶を掘り出しながらキッチンの棚を一つ一つ確認して行く。
買ったその時の姿のままで棚に収まっていたそれを見つけ、エドワードは牛乳と水を沸かす。
ティーセットも何とか探し当て、黙々と入れられていく紅茶。
紅茶を入れる時に限らず、こんな時エドワードは本当に器用にそれをこなしていく。
細かい所にまで気を使い入れられていくお茶は、一度だけ飲んだことのあるロイの舌を満足させるには充分なほどだった。
抽出時間を守りながら蒸らして、最期にティーストレーナーでつぎわけ、エドワードはティーカップを大事そうに持ってリビングに入ってきた。

「…何だよ。」
一連の動作をロイはずっと見ていた。
それに気づいて、エドワードが不機嫌を引き摺りながら言う。
「いや?私の分はないのかな、と。」
「あるわけねぇだろうが。欲しいなら自分で煎れろ。」
取り付く島がない、とは正にこの事ではないのだろうか。
「君の煎れたものが飲みたかったのだけどね。」
粘り強くロイが言うもエドワードが立ち上がる気配はない。
どうやら本気で煎れてくれることはなさそうだ。
ロイが、小さく一つ溜息。

「…一体、どうしたのかね?」
「何が?」
その不機嫌さが。
内心で愚痴ったもののロイは、眠っていたんじゃないのかい?と敢えて問う。
「何でもない。」
「何でもなかったら起きては来ないだろう?」
窓がカタカタと風で揺れた。
熱い紅茶に息を吹きかけ、エドワードはもう一度、何でもないと応える。

「…エドワード。」
ロイがエドワードの名を呼ぶ。
ただ、それだけの事。

「うるさい。」

ただそれだけの事がエドワードの神経を逆撫でした。

「エドワード。」
「黙れって。」

理由などない。
ただ、今、ロイに自分の名を呼ばれるのが酷く気に食わなかった。

「…鋼の。」
エドワードの不機嫌さが伝わったのだろう。
ロイは先程よりも大きな溜息と共に呼び名を変える。
それに次いで、今度は大きな手がエドワードの括られていない髪を撫でた。
髪を梳くように丁寧に撫でる指と、それを見つめる優しい目。

それを見てしまったエドワードが折れる方が、速かった。


「…あんた、分かってやってるだろ。」
恨めしそうな上目使いで睨んでくる金の目に何のことか分からんな。そう、ロイは呟く。
エドワードが小さく息を付いた。


「それで?」
あの後、紅茶を入れてくれと執拗に言ってくるロイに折れたエドワードが入れたストレートティーに口をつけながら思い出したように問う。
「何が?」
当然の事ながら唐突に投げかけられた質問にエドワードが答えることは出来なかった。疑問に疑問で返し、何のことだと問う。
「さっきの不機嫌な理由は?」
優雅にティーカップに口付けながらロイが三度繰り返す。
それは先程と全く同じやり取りだった。

「…風。」

違ったのはエドワードの応えがあった事。

「風?」
返答はあったもののそれはまだロイにとっては不可解な事には変わりがなかった。

「ぴゅうぴゅう言ってるのが、声に聞こえた。それだけだ。」
誰の、とは言わなかったけれど。

二人の間に沈黙が落ちた。

「…虎落笛と言うそうだよ。」
ロイが言った聞きなれない単語。
「もがりかぜ?」
「そう。家々や林の間を吹く風がその音の強弱によって人間の声に聞こえる事があるそうだ。東国の島国ではそれは死者の声だと言われているそうだ。」
それは、とエドワード口が動いた。

それは、自分が感じたものと同じ―――。

「まぁ、迷信に過ぎんがな。」
エドワードの迷いはロイのこの一言によって打ち消された。
「風が死者の声に聞こえるなどそれはその人間のエゴに過ぎないと思わないかね?」
「そう、だな。」
射るように自分を見つめてくる黒曜石。
意図しているわけではなさそうだが、まるで試されているようだ。

「…今、何であんたはあんなに敵が多いかオレすごく納得した。」

瞳が、あまりにも鮮烈すぎてそれが挑戦しているように見えるのだ。
論点が違うエドワードを不思議そうに見て、しかしロイは不敵に笑う。


……これだよ。

思ったもののエドワードは悲しい事に自分の性分を非常によく理解していた。
やられっぱなしは性に合わない。
口元に浮かぶのはロイと同等の、もしかするとそれ以上の不敵な笑み。

「君も敵が少ないタイプの人間だとは思えないが?」
楽しそうに言うロイにエドワードはやっぱり性悪だ。そう相手に聞こえる程度に、小さく呟いた。
鋼のには言われたくはないな、そういうロイに煩い。と怒ったように返して、エドワードは飲み終わった空のティーカップをキッチンに置くと、そのままリビングを出て行く。

「何処に行くんだい?」
「寝るんだよ。いつまででもあんたの相手してるほど時間を持て余してないんでな。」
「酷い言い様だ。」
「勝手に言ってろ。じゃ、…おやすみ。」
パタン、と扉を静かに閉め。
エドワードは来た廊下をそのまま引き返す。
口元には、笑み。
笑みの原因はあえて無視するとして。



今度は風の音になど気を止めずに、よく眠れそうだ。





















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これは一体何なんでしょうか。
無駄に長いですね、はい。ロイエドじゃないですね。分かってますとも。
艶のつの字もない小説です。ただ思いつきに任せて書いてみました(というか最近はそればっかりだ)
最早お題との関連性が見つかりません。
ただ、虎落笛のことが書きたかっただけのような気もします。